支配的な毒親に30年苦しんだ私が地獄から生還するまで

自分の親が毒親か見極めたい/毒親から解放されたい/生きづらさを解消したい/そんな方に伝えたいブログ

学校での差別 ~毒親のことを学校に相談出来なかった理由~

こんにちは。

毒親育ちの梅野いより(@umeno_iyori)です。

 

f:id:umeno_iyori:20210729084128p:plain

 

 

私は、教育虐待と新興宗教の強要を受けて育ちました。

 

とにかく家が辛い。

 

“家は一番我慢する場所“そう思っていました。

 

 

 

だからと言って、学校(外の世界)は決して自分にとって居心地の良いモノではありませんでした。

 

小学校の時のお話です。

 

 

 

居心地が悪かった理由は2つ。

 

1つ目は、週3~4回のペースでクラス内で揉め事が起こっていた事。

 

内容は些細なモノですが、本当にしんどかった。

 

後に、原因は中学受験をする生徒のストレスだったのだと分かりました。

(受験が終わった途端、収まった)

 

 

今考えても異常で、私にとって学校もまた“我慢する場所”だったのです。

 

 

 

 

そしてもう一つ、私には辛い事がありました。

 

先生です。

 

 

私は母を6歳の時に亡くしているのですが、みんなの前で晒し物にするのです。

 

 

3年生・4年生の時、

担任だったN先生。

 

50代の女性でした。

 

 

クラスで誰かが忘れ物をすると、「梅野さん(私)はお母さんがいないのに、ちゃんと持ってきているでしょ」と言うのです。

 

どんなつもりでそんな事を言うのか分かりませんが、私は深く傷つきました。

 

 

1度や2度じゃない。

 

何度も何度も言われたと思います。

 

 

クラスのみんなも、気まずそうに下を向いていました。

 

そんな雰囲気にも関わらず、毎回毎回先生は悪びれる事もなく、同じセリフを言い続けました。

 

 

 

クラスメイトでも家族にこの事を話していた子はいるはず。

 

なのに何の問題にもならなかったのがまた悲しかった。

 

 

 

 

そして5年生・6年生の時、担任だったH先生。

 

40代の女性。

 

H先生はN先生のように頻繁にみんなの前で晒し物にするような事はありませんでした。

 

もうあんな思いはしたくない…そう思っていた私はホッとしていました。

 

 

 

ですが、最後の最後。卒業式の時にやってくれましたよ。

 

先生がみんなに最後の挨拶。

 

「卒業おめでとう。

 

みんな親御さんに感謝していると思います。

 

特に梅野さんはご家族に感謝しているのではないでしょうか。

 

実は梅野さんは、お母さんがいないのです。」

 

 

 

・・・気分は最悪でした。

 

最後にH先生の事を大嫌いになりました。

 

 

 

N先生もH先生も何を考えていたのでしょうか?

 

私に対する嫌がらせという訳ではないでしょうが、神経を疑いました。

 

 

 

「お母さんを亡くして可哀想な子に優しくしましょう」

「命の大切さを学びましょう」

 

とでも言いたかったのか?

 

先生達にとっては、教育の一環だったのかもしれません。

 

 

 

でもそれって一人の生徒を傷つけてまで、しないといけない事?

 

私は、先生達の“道徳の授業”の材料にされた気がして仕方がないのです。

 

あんな辛い家庭環境なのに先生に相談出来なかったのは、先生を信用していなかったからかもしれません。

 

 

 

この出来事は私の性格を大きく歪め、「人に可哀想と言う人は、そう言っている自分に酔っているだけだ」と思うようになりました。(今では人によると分かります)

 

 

実際、私自身母親がいなくて辛い事はなかったのに(母も毒だった)、この学校での差別が本当に辛かったのです。

 

そしてあの親だから、先生にされた事を家では話せませんでした。

 

 

 

 

結局、学校であった事も親に話せない。

 

家での事も学校に話せない。

 

いつも自分で抱え込んでいました。

 

 

 

 

この頃の私は、本当に家族含め人に恵まれませんでした。

  

周りはみんな敵だらけでした。