こんにちは。
毒親育ちの梅野いより(@umeno_iyori)です。
今日は母親と祖母(実母)の関係についてお話します。
同居していた父方の祖母の事はよく書いていますが、母方の祖母の事をしっかり書くのは初めてかと。
以下、“祖母“は母方の祖母です。
母は私が6歳の時に亡くなっていますが、とにかく教育ママでした。
私立の幼稚園、まだ2~3歳の私に数えきれない程の習い事。
塾のテストは全国で10位以内じゃないと許さない。
出来なかったら怒鳴り散らす。
そして自身がハマる新興宗教の強要。
どう見ても異常でした。
母はいつもイライラしていて、怒った顔しか覚えていません。
正直亡くなった時、ホッとしました。
母にもう一度会いたい、そう思った事は一度もないです。
今思うと、母もアダルトチルドレンだったのだと思います。
母は自分の母親(祖母)と仲が良くなかったのです。
小さい頃から一人っ子の母は寂しい思いをした。
祖母は仕事ばっかりだったと。
いつも一人で遊んでいたそうです。
祖母は、美容院を経営していました。
アパートの経営もしていて、バリバリの経営者でした。
そして、母も美容師に。
祖母と一緒にお店を経営する道を選びました。
結婚後は、父が祖母・母の家に住む事になりました。
※婿養子という意味ではありません。マスオさんみたいな感じです。
そこで、祖父・祖母・母・父の生活が始まったのですが、これがもう大変で。
同居なんていつの時代も上手くいかないのですね・・・。
日常の些細な事でも色々あるでしょうに・・・祖母と母は職場も同じですからね。
しかも店を経営する運命共同体。
揉め事のオンパレードだったのだと思います。
母は日頃のストレス、そして小さい頃から寂しい思いをさせられた事を父に全部話したそうです。
そして、当然父も祖母に良い印象なんて抱くはずもなく・・・
まぁ大大大嫌いになったんですね!
母の死後、私・弟は父方の祖父母の元で育てられる事になりました。
もちろん父も母方の祖母の家を出ました。
離れて暮らしても、父が祖母を好きになる事はなく・・・。
私と弟が祖母の所に遊びに行くのを、とても嫌がりました。
でも祖母は急に祖父と二人きりになって寂しかったのでしょう。
美容院も、母が亡くなったのを機に辞めていました。
しょっちゅう電話が掛かってきて「遊びに来ない?」と言うのです。
同居していた祖母には「しょっちゅう電話が掛かってくるから、遊びに行ってあげなさい」と言われました。
※母方の祖母と父方の祖母の仲は良かったです。
でも、父には露骨に嫌な顔をされる。
嫌な顔をするだけじゃない。
当たり散らされる事もありました。
祖母の家にいたら「今日は勉強すると約束しただろ!もう塾辞めるからな!」(母の死後は父が教育パパに。当然塾は辞めず)と怒鳴られたり
毎年正月は2日から祖母の家に泊まりに行ったのですが、毎年父に当たられました。
でも祖母から「次はいつ来るの?」という連絡は来るし、父方の祖母からは「また電話があった。すぐに行きなさい」と言われるし。
いつも私と弟が板挟み・・・。
こんな事してるの、うちだけじゃない?
みんなの家もこんななの?
みんな同じようにしんどい思いをしているのだろうか。
幼い私はそう思っていました。
そんな環境で育った私は、親を嫌うという事に全く抵抗がありませんでした。
友達が「親が嫌い」と話してくれた時も「へぇ~」としか思わなかったし、自分が親を嫌う事にも特に罪悪感はありませんでした。
流石に後々「毒親だ」と思う事には最初抵抗がありましたが、「嫌い」なんて別に何とも思いませんでした。
だって昔から見てきた事だから。
母が祖母を嫌っていた事を何度も聞かされたし、父が祖母を嫌っている態度を何度も見てきました。
だから悪い事とは思いません。
次は自分が親を嫌って何が悪いの?と思うのです。
うちの家庭では普通の事なのです。
あなた達が私に見せてきた事でしょ?って。
母は祖母(実母)を嫌ってた。
— 梅野いより@blog*/毒親育ち (@umeno_iyori) November 10, 2020
母から愚痴を聞かされていた父親も祖母を嫌っていた。
私が祖母の家に遊びに行くと
不機嫌に当たり散らした。
「親を嫌ってもいい」
そう私に教えたのはあなた達ですよ?#毒親 #毒家族 #アダルトチルドレン #機能不全家族 #過干渉 #教育虐待 #文化的虐待
私には親を嫌う事の、何が悪いのか本気で分からないのです。
父も、自分のしてきた態度がまさか自分の首を絞める事になるとは思わなかったでしょうね。