こんにちは。
毒親育ちの梅野いより(@umeno_iyori)です。
私は、教育虐待と宗教の強要を受けて育ちました。
私はいつも親の言いなりでした。
親は自分の価値観以外は認めず、自分優先の人でした。
習い事・進路・宗教・・・何もかも決められました。
自分の意見なんて聞いてもらった事がない。
服従が当たり前だと思っていました。
“自由”なんてワガママだと。
私はただの奴隷でした。
そんな私には反抗期なんてありませんでした。
良い子だったからではありません。
親が怖くて、自分で抑え込んだのだと思います。
そんな私が親の言う事を聞かずに、決めた事があります。
それが、一人暮らしでした。
きっかけは親の一言。
「会社を辞めるなら出て行け」
仕事がしんどくて、辞めたいと言った時の言葉です。
私は「これで会社を辞めれる!!」(親にはずっと辞めるなと言われ続けていました)
そう思うのと同時に
「一人暮らし」という言葉にビビッときたのです。
会社を辞めるという一時的な解放だけではなく、もっと大きな・・・もっと自分の人生に関わるような・・・そんな大事のように感じたのです。
「会社を辞めるなら出て行け」そう言った親も、いざ私が「一人暮らしをする」と言うと大反対しました。
「このまま実家にいて、宗教を頑張って良い結婚をした方が良い」と。
もう押し付けが多すぎてツッコミも出来ません(笑)
それでも従わない私に「嫌なら、今すぐ出て行け」と怒鳴る事も。
一人暮らしする
— 梅野いより@blog*/毒親育ち (@umeno_iyori) April 26, 2020
って伝えた時
「辞めておけ。◯◯(宗教)頑張って、良い人見つけて 早く結婚する方がいい」
心配だから、とかでは無いんだね。#毒親 #毒家族 #アダルトチルドレン #教育虐待 #機能不全家族 #文化的虐待
いつもの私なら、親に従った。
だって、ずっとそうしてきたから。
でも、この時の私は違いました。
絶対に一人暮らしする!
そして順調に準備を進めていったのです。
しかし・・・
一人暮らし直前に仕事のストレスで病気になり、そのまま休職。
それでも体調が戻ったら、絶対に家を出るつもりでした。
親には更に大反対されましたが。
休職中に、私は実家を出たいと思う気持ちが強くなっていたのです。
病気になった時の家族の態度。
本来なら支えてくれるはずの家族が、私には敵に感じました。
「いつまで寝てるんだ」
「お前はいつも人のせい」
「だいたい、一人暮らしなんてお父さんを裏切るような事をして」
と責め立てられました。
気遣ってくれるどころか、余計に苦しめられました。
これが「自分の親はおかしくないか?」と思うきっかけになりました。
気付いたのです。
仕事のストレスが追い打ちをかけただけで、昔からの家庭内でのストレスが溜まりまくっていたのです。
いつだって、家族は私を苦しめる存在だったと。
そんな人達が、病気になった私を気遣ってくれる訳がなかったのです。
“毒”は“薬“にはならないのです。
私にとっては、何よりも家族がストレス。
一人暮らしを始めて家族から離れる・そして仕事を辞める事が、私にとって何よりの治療だったのです。
ストレスの元凶と、上に被さったストレスを取り除くのです。
結局、最後まで反抗して私は一人暮らしを実行。
仕事も半年後に辞めました。
一人暮らしを始めてからは、親の事が客観的に見れるようになりました。
やっぱり異常だな、と。
その頃には、「毒親」という言葉にも出会いました。
一人暮らしをしていなかったら・・・
あの時、勇気を出して自分を貫かなかったら・・・
今も家族と関わっていたと思います。
自分の中にある違和感も飲み込んでいたと思います。
毒親に強要された宗教もまだしていたと思います。
親が決めた結婚相手(きっと同じ宗教の人)と結婚していたかもしれません。
そして親が弱ってきたら、お世話をしていたでしょう。
一生、毒親の餌食になる所でした。
今になると、あの時実家を出て本当に良かった。
一人暮らしは一時的な解放ではありません。
毒親と離れる事で、未来がガランと変わるのです。
毒親は、名の通り“毒”なのです。
毒は突発的なモノではありません。
一度かかったら、自身の心を侵食し続けます。
心が殺されていくのです。
解毒するのは大変です。
毒を浴び続けた時間が長いほど、時間も労力もかかります。
もしあなたが「実家を出たい」そう思うのであれば、絶対に実行すべき。
あなたの心の叫びなのです。
最後の力を振り絞って、叫んでいるのかもしれません。
一人暮らしは親に対する最初の反抗でした。
その後、絶縁という最大の反抗をしましたが。
この記事が、一人暮らしを考えている方の助けになれば嬉しいです。
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