支配的な毒親に30年苦しんだ私が地獄から生還するまで

自分の親が毒親か見極めたい/毒親から解放されたい/  生きづらさを解消したい/そんな方に伝えたいブログ

教育虐待という地獄 【慶應虐待のニュースを読んで】

こんにちは。

毒親育ちの梅野いより(@umeno_iyori)です。

 

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「慶應虐待」というニュースが話題になっているようです。

 

「何としても慶應に入れたい」という親の価値観を押し付けられ、潰れていく子供。

 

親の行き過ぎた理想・エゴが招いた結果だと言わざるを得ません。

 

 

 

他人事とは思えませんでした。

 

私も教育虐待の被害者です。

 

 

 

私は慶應出身ではありませんが、うちの親も学歴至上主義でした。

 

教育虐待は、物心がつく前(3歳くらい)から大学受験が終わるまで続きました。

 

 

 

 

「教育パパ」「教育ママ」「教育熱心」

 

そういう言葉で片づけられる事が多く、むしろ「子供の事を真剣に考えている親」という認識が強いですが、現実はそんな美談ではありません。

 

 

 

あれは地獄だ。

 

私はハッキリそう言えます。

 

 

今から書く事を、自分の身に起こったら…と想像して読んで頂けると嬉しいです。

 

 

 

週6で習い事。

 

勝手に決められた中学受験。

 

勉強漬けの毎日。

 

幼い頃から、私は親が課するノルマをこなす生活をしていました。

 

 

 

 

私にとって家は窮屈で、我慢する場所でした。

 

休みの日は地獄。

 

 

夏休みなんて、楽しみだと思った事がありません。(夏期講習がある)

 

学校が好きな訳ではありませんでしたが、家にいるよりずっとマシでした。

 

 

 

 

また明日も勉強だ。

 

また明日も習い事だ。

 

寝る前に「明日が楽しみ」なんて思った事がない。 

 

家に帰って、親の靴があると心臓が飛び上がる。

 

 

 

そんな生活でストレスが溜まりまくり、学校で頭が割れそうに痛くなった事もありました。

 

 

 

 

ある時父親が言いました。

 

「私立の中学を受験するから」

 

 

 

毒親あるあるですが、親は周りに「いより(私)が行きたいと言っている」と話していました。

 

小学生が、地元の中高一貫の学校なんて知っている訳がありません。

 

もちろん行きたいと思った事もありません。

 

そんな見た事もない学校に、子供が行きたがる訳がないじゃないですか。

 

 

 

 

志望校は親が決めました。

 

県内には、4つの中高一貫校があったのですが、

 

第一志望は、偏差値が県で2番目。

 

第二志望は、県で3番目の学校に決まりました。

 

 

 

親はどうしても、第一志望に行って欲しいと思っていました。

 

理由は、4つの学校の中で唯一宗教がない学校だったから。

(親はある新興宗教の信者で、他の宗教を学ぶのを嫌がった。もちろん私にも強要していました)

 

 

 

 

 

中学受験は凄まじいモノでした。

 

学校から帰ってきたら、勉強。

 

休みの日も、朝から晩まで勉強。

 

ご飯とお風呂と寝る以外は、机に向かっていました。

 

 

 

問題が解けなかったら、教科書を壁に投げつけられ怒鳴られる。

 

「お前と話していると、こっちまで頭がおかしくなる。もう受験なんてやめてしまえ!!」

 

そう言いながら、次の日には結局塾に行かされる。

 

その繰り返しでした。

 

 

 

 

受験が近くなると、小学校に行っている時間が惜しいと感じるのか、小学校=悪だという刷り込み。

 

 

塾の先生にも

「お前達は、学校に遊びに行っているだけ。だから学校から帰ってきて“疲れた”なんて口にするな。」

と言われた事もありました。

 

私にとって、塾の先生も敵に見えました。

 

 

小学校に行っている暇があったら、受験勉強をした方がいい。そんな空気でした。

 

 

 

 

結果は、第一志望が不合格。第二志望が合格でした。

 

第一志望の不合格を知った親の一言。

 

「もう一度、高校受験で第一志望の学校を目指すか?」

 

 

 

私は、断りました。

 

もう受験勉強なんてコリゴリ。

 

解放されたかったのです。

 

中高一貫校に入れば、しばらく受験はない。

 

 

 

すると父は「第二志望の学校なら、トップを取らないとな」

 

と言いました。

 

そして、第一志望校の受験票の裏に「“くやしい“と書け。」と言われました。

 

 

 

「今、書いた気持ちを忘れるな。このくやしいという気持ちを忘れるな」

 

そう念押しされました。

 

 

 

 

私にはもうどうでも良くて、とにかく解放されたかった。

 

“限界”なんて、もうとっくの昔に超えていました。

 

 

 

 

 

中学に入学してからも、私は苦労しました。

 

成績が悪いのです。

 

「授業についていけない」そんな状態でした。

 

 

 

だって、受験を勝ち抜いてきたクラスメイト達がライバルなのです。

 

みんな頭が良く、努力家。

 

決して地頭が良いと言えない私にとって、同級生は少し勉強をすれば簡単に点数を取れる天才に見えました。

 

自分の事が、物凄く馬鹿に感じたのです。

 

 

 

 

平均点を取るのも難しい。

 

毎日の授業にも、もはや付いていけていない。

 

順位は約120~130人中、常に100番代。

 

 

 

中学受験の時からのストレスも、尾を引いていたように感じます。

 

いつも何かに追われるように、イライラしていました。

 

 

 

 

中高一貫校の授業は60分×6時間。

 

毎日テストがある。

 

宿題も多い。

 

中学受験が終わっても、私は結局勉強漬けでした。

 

 

 

 

中高一貫校とは、良い大学に合格する為の進学校で

 

結局私は、大学受験という次のノルマに向かって走り出した事に気付きました。

 

「国公立以外は許さない」親が課した新たなノルマです。

 

 

 

 

私の青春時代は、何も残りませんでした。

 

「これが終われば楽になれる」「合格すれば楽になれる」そんな言葉に騙され続け、自己犠牲の連続でした。

 

 

 

 

 

大人になって、父親が学歴コンプレックスを抱いていた事を知りました。

 

自分も国公立一本で頑張った。

 

でも、落ちた。

 

 

周りは大学生になったのに、自分は高卒で働いた。

 

「高卒だから」「高卒なのに」そう言われると何とも言えない気持ちになったと。

 

 

 

私が受けた教育虐待は、父親の学歴コンプレックスが原因だったのだと知りました。

 

私に国公立しか許さなかったのも、分かりやすい理由でした。

 

 

 

 

私はこの教育虐待という苦行をどうやって乗り越えたのでしょう。

 

自分でも分からないのです。

 

ただ時間が過ぎるのを待っているだけでした。

 

 

 

 

そんな私は大人になって、大企業に入社するも2年も経たずして辞めました。

 

その後も仕事を転々とする。

 

どこに行っても続かない。

 

求人の「条件:大卒以上」なんて最初の一社だけでした。

 

 

 

大学なんて、行く必要あったのか?

 

学歴なんて全く活かされていないし、恩恵も受けていないです。

 

 

 

勉強漬けだったせいで、他の学ぶべき事が抜け落ちているのだと痛感しました。

 

 

コミュニケーションが苦手で、上手く出来ません。

 

我慢が癖になっており、ストレスとの向き合い方も分かりません。

 

メンタルが弱く、自分で物事を決められない。

 

 

 

 

これらは、社会に出ると全部足枷になりました。

 

「勉強をする用の頭」であり、「社会で通用する頭」ではないのです。

 

 

 

私は、勉強をするだけの頭になってしまっていたのです。

 

融通が利かず、マニュアル通りにしか動けない。

 

もしくは、自己流にしすぎてしまう。

 

決められた事だけをしてきた結果、典型的な例でしょう。

 

 

 

「勉強は出来ても、仕事は出来ない」

 

そんな言葉を言われた時は、胸が痛みました。

 

 

 

・・・自分だって、好きでこんな風になった訳ではないのに。

 

私だって、もっと要領良く生きたかった。

 

その為のスキルを身につけたかった。

 

 

 

 

あんなに苦労して我慢して、勉強なんてする価値はあったのでしょうか。

 

恩恵を受ける事がないなら、沢山遊んでも良かったのではないでしょうか?

 

 

 

 

私はただ、普通の子供時代を過ごしたかっただけなのです。

 

 

この記事が、教育虐待で苦しんでいる子供達を救う手助けになれば嬉しいです。