支配的な毒親に30年苦しんだ私が地獄から生還するまで

自分の親が毒親か見極めたい/毒親から解放されたい/生きづらさを解消したい/そんな方に伝えたいブログ

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自己紹介【毒親の元に生まれた私が経験した地獄】

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私のプロフィールから…

30代女。

既婚。選択子供なし。

長女。

 

3歳から18歳まで教育虐待を受ける。

また、親が信仰している宗教を強要される。

 

家族は父・母(6歳で他界)・父方の祖父母・弟

 

 

最初に遺書を書いたのは5歳の時。

 

 

家族といた時間、それは私にとって地獄でした。 

 

 

 

 

 

教育虐待の始まりは母から

 

母は異常に教育熱心で私が物心つく前から 勉強習い事漬けの日々。

私立の幼稚園で既に英語の読み書きも勉強していました。

 

母は実の母を恨んでいて、今思えば 母もアダルトチルドレンだったと思います。

 

ピアノ、エレクトーン、バイオリン、スイミング、習字、そして塾。

他にも 体操や英会話の体験なども行っていました。

 

一度、母が紙に 私に習わせる予定の習い事をずらーっと書いていて ゾッとしたのを覚えています。お琴、生け花など書いていました。

 

 

バイオリンの持ち方が悪いと それを矯正する為に 画鋲を貼り付けたり、塾のテストで全国で10位以内に入らないと怒られるなど、めちゃくちゃでした。

 

 

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※上が正しくて 下が間違い。 掌で下から支えて持ってはいけないんです。私は下の間違った持ち方が癖になっていました。 すると、母親が赤い印を付けた所に 画鋲を貼ったんです。

 

 

小学校も私立に行かせたかったようですが、不合格。

 

クジだから仕方ないのですが、母は「どうしてクジを引く時に心の中で拝まなかったんだ!」(両親がしていた宗教)と怒られました。

 

母はいつも怒っていて、「なぜ出来ないんだ!」「アホのくせに!」など暴言を吐かれた事もあります。 

 

 

母が亡くなる

 

そんな母は私が小学1年生の終わりに 癌で亡くなりました。正直 泣きませんでした。

ただ、遺影に向かって「バイバイ」と言ったのを覚えています。

 

ホッとしたんだと思います。

 

今まで一度も「母に会いたい」と思った事はありません。

(母がいない事で差別を受けたりしたので、形だけいて欲しいと思った事はありますが)

 

勉強ばかりさせられた記憶。

出来ない私に怒っている記憶しかないのです。

 

思い出せるのは鬼のような顔だけ。

 

批判もあるかもしれませんが、正直に言います。

 

あの母が生きていたとしたら…そう考えるだけでゾッとするのです。

 

 

 

次は父からの教育虐待

 

母が亡くなった後は父が母の後を受け継ぐように、引き続き英才教育が始まりました。

 

「母親のやらせていた事は 辞めずに続けさせたい」これが口癖でした。

(ちなみに父親は学歴コンプレックスがあったと大人になって知りました)

 

父は夜中に出勤する運送業だったので私と弟は祖父母宅に住み、父はすぐ近くにアパートを借りていました。

 

小学校2年生にも関わらず、週6で塾と習い事の日々。

同じ日に2つの習い事をハシゴする事もありました。

 

結局母がいた時と同じ生活が待っていました。

 

どの習い事もしたいと思った事は一度もなく、「来週から〇〇習うから」と父に言われると従うしかありませんでした。

 

テレビも観れない。友達と遊ぶ事も出来ない。

でも、父が怒るのが怖くて言う事を聞いている状態でした。

 

 

「いより(私)が〇〇(習い事)をしたいと言っている」

「いよりが〇〇中学(中高一貫の進学校)に行きたいと言っている」

 

父は、私が望んでいるかのように言っていましたが、父が怖くて「行きたくない」と言えなかっただけです。

 

親自身が強要した事を、「子供が望んでいるから…」と言い張るのは毒親あるあるみたいですね。

 

 

ある時に「もう自分さえ我慢すればいい」と諦めるようになりました。

 

また「自分は他の子よりも頭が悪いから頑張らないといけないんだ。お父さんは私の為にしてくれているんだ」

そう無理矢理自分に言い聞かせるようになりました。

 

そう思わないと納得がいかなかったのです。

 

そして「優秀じゃないと愛されない」そう思い込んでいました。

 

学生時代は朝から晩までご飯とお風呂以外は勉強漬けでした。

青春時代の殆どを学習机で過ごしました。

 

外で、同い年くらいの子達が遊んでいる声が聞こえてくると何とも言えない気持ちになりました。

友達と遊べないので、仲間外れにされたことも沢山あります。

 

父は 気に入らないと すぐに怖い顔で怒鳴ってくるので、蛇に睨まれたような状態で言う事を聞くしかありませんでした。

 

父が帰ってくると心臓が飛び上がる、それが私の中では日常でした。

 

 

祖父母はいつの間にか見て見ぬふり

 

祖父母も 最初は 「こんな小さい子に無理させて…」と、習い事や勉強をやめるよう父に言いましたが、父が怒り家庭の空気が悪くなるのを嫌がって父と同じように 「勉強しろ」と、私に言うようになりました。

 

勉強の内容までは 口を出さなくても、監視に近いような状態になりました。

 

 

祖母が勉強部屋を覗いて、私がうたた寝でもしていたら父親に告げ口される。

私は寝るという事が怖くなり、毎日深夜まで寝れず夜中に何度も起きる事も多かったです。

 

 

祖父母も厄介

 

そんな父親を生み出しただけあって、祖父母も厄介な人達でした。

 

とにかく言い方が嫌味ったらしい。

 

例えば

「電気代勿体ないから クーラー消しなさい」と言えばいいのに、

「自分だけ 良い思いして。お前は自分の事しか考えてないんだ」

 

という言い方をしたり、私が好きと知っているアーティストをワザと嫌いと言い放ち(きっと誰が誰かも分かってない)、毎日同じ録画番組を繰り返し観ているだけで「同じ物ばかり観るな」と怒鳴ったり。

 

 

私が楽しむ事をとにかく面白く思っていない様子でした。

 

祖母は私に一言でも言い返されると、祖父や父に言いつけて私が怒鳴られるか、娘(叔母)に言って叔母から私にお叱りがありました。

 

 

「子供の気持ちなんて関係ない。自分達の意に反すれば怒鳴り散らして言う事を聞かせればいい。」

 

そんなスタイルでした。

 

 

父親もそんな風に育てられたのでしょう。そして、そのまま父親もそういう教育方針になったのです。

 

それ以外の子供への向き合い方なんて知らなかったんだと思います。

 

母親代わりである祖母も、友達の愚痴など一切聞いてくれた事がありませんでした。

私が話しだすと、部屋から逃げるように出て行く。

 

たまに口を開いても、たった一言「勉強で見返せ」と。面倒な事は聞きたくないし、関わりたくない。そんな人でした。

 

 

何だか、父親がカルト宗教にハマったのも分かる気がします。

 

中学受験

 

 

 

父親は「勉強しすぎて死んだ人はいない。だから顔がパンパンに腫れ上がろうが、鼻血が出ようがすればいい」

と言っていました。

 

中学受験は 第一志望に落ちました。

その時父親が その学校の受験票の裏に「くやしい」と書け!と言いました。

 

私は別に悔しくないけど、そう思っているフリをして書きました。

自分の思ってもない事を、自分に無理矢理言い聞かせて父親の思い通りに動く、これが基本でした。

 

こうやって私は自分の気持ちを抑え込んでいくのです。

 

中高一貫の進学校(第二志望)に入学してからも、相変わらず英才教育は変わらず 父はべったり私に付いて勉強を教え続けました。

 

次は“良い大学に合格する為”だそうです。

 

中学受験で一旦 塾以外の習い事は 全て辞めましたが、急に「バイオリンまた始めるから」と言いだし、また通うことに。

 

進学校で 授業だけでも大変だったので勇気を出して「辞めたい」と言うと、泣き腫らすまで怒られました。

その時付き合っていた 同級生の彼氏に電話で慰めてもらったのを覚えています。

 

 

 

 

「部活は絶対に入れ」

 

また「部活には必ず入れ」と言われました。

 

父曰く、理由は「子供は疲れたら余計な事をしなくなる」からだそうです。

 

余計な事とは、親が心配するような事だと思います。

うちの学校は新しかったので部活があまり充実しておらず、クラスの殆どの子が入っていませんでした。

 

その中でも無理矢理入り、同じ部員だった自己中で意地悪な子と仲良くするしかありませんでした。(その子が辞めたら1人になってしまうので)

 

部活さえ無ければ仲良くしたくなかった子なのに…我慢しました。

結局、仲が拗れて 結局高校卒業まで廊下ですれ違ったら避けられる、などを繰り返されました。

 

結局嫌々入った部活が続く訳がなく、退部しました。

 

それを知った父親は大激怒。

 

「部活をしないなら、その分勉強出来るだろう!学年で10位以内に入れ!」

 

と言われる始末。

 

また、少し帰りが遅くなっただけで(友達と立ち話してただけ)

 

「授業が終わってすぐに帰ってきたらこんな時間にならないはずだ。成績も良くないのに腹立つんだ、お前の事が」

 

と言われ、授業が終わると話しかけてくる友達を振り切って帰るように。

 

 

仲の良かった友達にはその事で 高校卒業までの5年間無視されました。

すぐ後ろで悪口も言われました。

 

 

大学は絶対に国公立

 

「大学は絶対国公立。それ以外は許さない。それが無理なら働け。専門学校なんて絶対行かせない」と言われました。

 

私は心理学部に行きたかったのですが「就職先がない」と反対され諦めました。

 

親にだって考え方があるのは分かる。

学費を出してもらう以上、耳を傾けます。

 

でも、もっと話し合って欲しかった。

頭ごなしに決めつけて私が従う。

 

これはただの服従です。

色んな選択肢があるはずの進路も結局親の言う通りにしました。

 

父親が教育虐待をしてまで大学にこだわった理由、そして国公立だけにこだわった理由は数年後に分かりました。

 

 

 

 

教育虐待が終わると宗教の強要

 

大学受験も終わり、大学に進学してからは 父親の転勤と重なり2人暮らしをしていました。

父は 勉強の事は一切言わなくなり、遊ぶ事にも かなりおおらかになりました。

 

ただ、ここからまた試練が…。

父は新興宗教をしていて 私と弟も産まれた時に入信させられました。

 

受験も終わり、比較的自由な大学生になった為、次は宗教を強要してきました。

 

この新興宗教ですが、小さい頃

この宗教から 離れたりサボったりすると不幸な事が起こる。それで亡くなった人もいる。集会を一度休んでも それだけで一つ悪い事が起こる」

 

と言われたのが、忘れられなくて結局 本格的に宗教を始める事になりました。

逃げる勇気を持てませんでした。

 

 

 

せっかくの大学生活。

この為に今まで頑張ってきたのに宗教の集会だらけで 終わりました。

 

会員さんの理不尽な態度にも

「腹立つお前の心がまだ未熟だ。この宗教で乗り越えるんだ」と言われました。

 

この宗教で幸せになれると思った事はなく、ただバチが当たるのが嫌で 不幸にならないように活動していました。

 

 

 

 

被害者である弟はいつの間にか加害者に

 

弟は父親の教育虐待から逃れる為か私をバカにするようになり、私が続かなかった部活(父親に言われて無理矢理入ったので続く訳ない)や、第1志望の中学校に落ちた事を 近所のおばさん達に言って回るような子でした。

 

「自分は姉とは違う」そう境界線を張りたかったのでしょうか。

 

貸したお金を全部1円で返してくるなど、私で憂さ晴らしをしてるようでした。

 

そんな弟も、好きなスポーツを習わせて貰えないのに私と一緒にバイオリンを習わなくてはいけなかった事など積み重なって辛かったのでしょう。

 

 

弟は私と同じ被害者です。

でも、大人になっても私を見下す性格は相変わらずでいつの日か限界が来て、今は父・祖父母と共に絶縁しています。

 

 

辛い家庭環境で育った姉弟は、絆が深まる場合もあると思いますが私には無理でした。

 

苦手な父親にどうしても似ている部分もありますしね。 

 

 

仕事はどんなに辛くても病気になっても辞めるな

 

大学を卒業後、地方銀行に就職。

 

代々イジメが酷い支店配属になってしまい、1年経った時、「辞めたい」と父に話しました。父親に自分の考えを言った事なんて殆どない私でしたが、あまりにも限界で。

 

 

「ダメだ。甘い。もし辞めるなら出て行け」と言われ、そのまま仕事を続けました。1年が過ぎた頃、私は ストレスで大人喘息を発症。休職しました。

 

 

休職期間、休養の為に祖父母の家に行きましたが

「どうして仕事に行かないんだ」

「喘息なんて気のせいだ」

「お前は何でも人のせい」

 

と、責められ、結局 父の元へ帰ってきました。

 

 

その後一人暮らしを始め、会社は黙って辞めました。

約3年後、父親に退職がバレた時も「辞めないって約束しただろうが」と怒鳴られました。

 

子供が喘息までなってるのに(元々喘息持ちでは全くない)こんな事言うんだと思いました。

 

 

この出来事で、うちの家族がおかしい事に 気づきます。

 

そして「この人達は私の気持ちや体調なんてどうでもいい。優秀な娘が欲しいだけだ。」

 

昔から心の奥底では気づいていた事実に向き合う事になりました。

 

 

一人暮らしを始める

 

 

 

一人暮らしは快適でした。

ずっと実家で縛られていた自分にとって、初めての自由。

 

そして、一人暮らしだと親に何も報告しなくても済むのでそれが何よりも気楽。

自分の為に、自分で考える事を始めるきっかけになりました。

 

もう家族には殆ど何も話さなくなりました。どうせ否定されるだけなので。

 

そして、距離を置いた事で自分の家族がどれだけ異常なのか冷静に見る事が出来るようになりました。

 

  

毒家族に罪の意識は無し

 

教育虐待と宗教の強要に関して、

 

祖父母と父、3人とも罪の意識はありません。

 

 

祖母は、「おばあちゃんは 一度もあんたに勉強しろと言わなかったよな?」と会う度に私に言い、自分は母親代わりに2人の孫を育てて、そこそこの大学・就職をさせたと自分を褒め周りにも自慢していました。

 

 

私が「勉強がしんどかった」と言っても「どうして勉強させてもらえた、大学に行かせてもらえたと思えないのか」と、私が悪者扱い。

 

父も「亡くなったママは 教育凄かったけど、お父さんの育て方は間違ってなかった。」と言います。

 

会う度に そればかり言うのが後ろめたさの現れだと思いますが…

 

 

家族全員の罪悪感も反省もしていない態度。

 

これが私は許せなかったんです。

 

まだ謝ってくれていたら、絶縁までしなかったかもしれない…。

いや、でもやっぱり許せなかったかも。

 

 

生きづらさを抱える

 

こんな窮屈な家庭環境で育った私は、当然“生きづらさ”を抱えました。

 

色んな後遺症がありましたが、1番辛かったのは「自信を持って自分を貫けない事」

 

大人になり「これがしたい」と思う事があっても「そんなの辞めておけ」そんな声が頭の中で聞こえるのです。

 

逆に「もうやめたい」と思った時は、「お前はいつもそうだ。逃げるお前が悪い。やめるな。」という声。

 

 

自分の考えはある。でもそんな声に負けてしまい、貫けない。

 

自分の思う通りに、行動してみよう!そんな当たり前の事が出来ないのです。

 

過干渉の毒親は、私のしたい事なんてねじ伏せて自分が決めた事だけ私にさせました。

 

私はいつも好きな事を我慢して、嫌な事ばかりこなしていました。

 

長年そんな生活をしていた私は、大人になってもその癖が消えず次は自分で自分を取り締まっていたのです。

 

だから好きな事をするのに抵抗がある。

嫌いな事をやめるのも抵抗がある。

 

頭の中に毒親ルールがこびり付いていました。

(強要された宗教の教えも多少あったと思います)

 

 

また、いつの間にか親ではない“他人”を親と見立てて

「他人の言う事は聞かなければいけない」

「他人がOKを出してくれないと、自分は間違っている」

 

そう思うようになりました。

 

完全な他人軸です。

 

 

そして“完璧主義”という後遺症と合体して

「(自分が望んでいなくても)目の前の課題は、完璧にこなさないといけない」

そんな無茶苦茶な思考になりました。

 

 

でもそんな事なかなか出来ない。

私は親といた時と同じ、ゴールのないノルマをこなそうとするのです。

 

こんなガチガチに縛られたルールの中で生きるのは本当にしんどかった。

どこを探しても“自分がない”状態でした。

 

まさに地獄です。

 

 

そのせいか、ここ最近まで意味もなくイライラする事が多く、数年に1度は病気(胃腸炎、気管支系など)になっていました。

 

そして、慢性的な鬱状態でした。

 

今思えば、自分の心からのサインだったんだと思います。

 

 

 

 

 

絶縁へ

 

2019年に疎遠になり、2020年頭に正式に絶縁状を送りました。(結婚するまでは保護者がいなくなるので出来ませんでした)

 

ショック死してもおかしくないくらい酷い内容を書きました。それが私の30年分の恨みでした。

 

 

全員に「来世は私の家族にならないで下さい」と書きました。

これが私の本音です。

 

 

 

 

 

今の私の気持ち

 

もう二度と家族に会う気はありません。

老後の父親の面倒もみないし、葬式も出ません。この気持ちは絶対に揺るぎません。

 

衣食住に困らなかった事には感謝してます。

毒親だからといって全く感謝がない訳ではないです。

 

でも私は毒親の元に生まれ、しなくていい苦労や理不尽な目に沢山あってきました。

 

自分のやりたい事は全部我慢し、毒親に服従してきました。

 

うちの家庭のルールはこう。

 

父親がしろと言った事は全部従う。

 

 父親が辞めるというまで続ける。

 

上手く出来なかったり、結果が出ないと怒られる。

 

きちんと結果を出して合格点。

 

自分の気持ちなんて抑えつける。その方が怒鳴られないから。

 

私は奴隷で、親の操り人形でした。

 

 

沢山の時間を奪われたのです。

 

母親は、亡くなる直前に実母(確執のあった)と仲直りしたらしいですが、私は絶対そんなハッピーエンドにはなりません。

 

家族を恨んでます。これからも恨むと思います。

今でも家族を思い出して、1日中怒り狂う日があります。

 

「どうやって復讐しようか」本気で作戦を練るのです。

飛び降りるなら絶対に家族の目の前に…なんて思うのです。

 

世の中には、毒親に育てられた人が凶悪犯罪者になる事件があります。

 

私は自分のイライラで人を殺そうと思った事はありません。ただ、「自分が凶悪犯罪者になれば、家族が世間から叩かれまくる。最大の復讐になるのではないか」そう想像する事はあります。

 

 

それと同時に「もうどうでもいい」という気持ちもあります。

今家族に望むのは、絶縁状にも書いた通り“来世は家族にならないで”それだけです。

 

 

30年間自分はよく頑張った。

そして親の介護がないなんてラッキー!そう思う余裕も出てきました。

 

 

今後の人生は、今までの時間を取り戻すように生きていく。そう決めています。

 

これからの人生は1秒たりとも家族に渡す気はありません。

 

このブログではありのまま、自分の本音を書くつもりです。

 

 

私のブログを見て、救われる方が1人でもいたら嬉しいです。

 

 

長文を最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

 

 

梅野いより