こんにちは。
毒親育ちの梅野いより(@umeno_iyori)です。
私は教育虐待と宗教の強要を受けて育ちました。
窮屈な家庭環境だったので、外では楽しく過ごしたいと思っていました。
当時中学3年生。
恋愛に興味を持つ年頃。
私はいきなり相手が「大人」の恋愛をします。
中学3年生の時
— 梅野いより@毒親育ち/過干渉/教育虐待/宗教の強要 (@umeno_iyori) October 8, 2020
学校の先生と付き合っていました。
窮屈な家庭環境の中で、唯一の癒しでした。
そして、毒親への最大の反抗でした。#毒親 #毒家族 #アダルトチルドレン #機能不全家族 #過干渉 #教育虐待 #文化的虐待
「淫行教師」・・・最近はこんなニュースが多くなりました。
未成年と付き合う事は犯罪なのか?
ネットで調べてみると、「真剣な交際であれば問題がない」とか
「女性が16歳以上であれば問題がない(婚姻出来る為)」
性交がなければ問題がない。
そんな事が書かれていますが、当時私は15歳。
しかも相手が自分の学校の先生となれば、完全アウトでしょう。
先生は16歳上で31歳でした。
もちろん独身でした。
「淫行教師」そういう言葉が聞こえる度に、ドキッとします。
でも、私は無理矢理何かされた訳ではない。
乱暴な事をされた訳でもない。
自分で選んだ恋愛でした。
先生は私が中学2年生の時に赴任してきました。
背が高くて男前で。
女子生徒の中でも「かっこいい先生」だと話題になりました。
廊下で見かけたら話しかけるようになり、私は先生を好きになりました。
連絡先を渡して、メールをするように。
私はまだ携帯を持っていなかったのですが、PCのメールは今では味わえないようなドキドキがありました。
メール受信ボタンをクリックして、メールが来ていた時の嬉しさ。
来てなかった時の悲しさ。
「視力が落ちた」という私に、緑の文字でメールをくれる先生。
(緑は目に優しいらしい)
日記帳には先生の事ばかり。
「今日の嬉しい出来事を忘れたくない」その為に細かく書き残しました。
・・・青春ですね(笑)
友達数人と先生の家に遊びに行ったり(冗談で勝手に押しかけた)しているうちに、かなり距離が縮まりました。
そして私は大胆な事に「好き」という気持ちを伝えていたのです。
子供だからこそ成せる技ですね。
ある日、先生と2人きりで遊園地に行く事に。
他の生徒に見られてはいけないので、かなり遠くまで行きました。
いつもは大勢なのに「2人で行きたいんだけど」と、言われました。
流石に2人きりは初めてで緊張しましたが、2人で行く事にそこまで疑問も感じず、
「遊園地だと料金が高いから、大勢では行けないんだな」くらいでした。
そしてその帰りの車の中で、手を握り「付き合おうか」と告白されました。
人生で告白されたのは初めてです。
もちろんOKしました。
1年以上好きな人だったから。
「他の友達には絶対に言わない。」
そう約束しました。
私は私立中学だったので、隣の県に住んでいる生徒もいる。
こちらは分からなくても、向こうは自分の学校の先生だと分かる。
だからデートは毎回慎重でした。
私の家の近くまで、先生が迎えに来てくれる。
それから誰にも絶対に見つからない場所に移動するのです。
移動中はグラサンをかけたり、シートを倒して他の車から見えないようにしたり。
いつも県境の山に車を停めて、帰る時間までお喋りをしていました。
お喋りだけで済まない事も勿論ありました。
息苦しい家庭環境の中で、先生は大きな癒しでした。
そしてスリルでした。
授業中、小さく手を振ってニコッと笑う。
周りにバレないように。
ドラマの世界ですね(笑)
ちょうど上戸彩さん主演の「高校教師」というドラマが放映されていたので、余計にウキウキしました(笑)
先生の事が好きな生徒がいると聞くと、優越感に浸りました。
勉強ばかりでつまらない毎日が薔薇色に変わりました。
そんな中、別れるきっかけになる事件が。
デートを他の生徒に見られたのです。
2県隣の繁華街に出掛けていたのですが、やはり恐れていた事が起こってしまいました。
向こうの生徒の顔は知りませんでしたが、こっちを見てビックリした顔をして隣にいた友達に耳打ちしていたので、その場ですぐに分かりました。
後で分かったのですが、後輩だったみたいです。
今までスリル満点だった私にとって、初めて「怖い」という感情が出てきました。
私は中学3年生。
中学受験で入った学校だったので、エスカレーター式。
高校受験なんて考えた事もなかったし、その為の勉強なんて一切していませんでした。
これで退学になったら、高校はどうなるんだろう・・・。
先生は「自分が違う学校に赴任してもいい」と言ってくれましたが
私は怖くて仕方なかったのです。
その時自分が思いついた唯一の打開策が、友達に協力を求める事でした。
「あの時は他の友達も一緒だった。」そう言えば、厳重注意くらいで済むでしょう。
先生も解雇にならず、自分も退学にならずに済むと思いました。
ただ、それもする勇気がなくて先生に別れを告げました。
最後まで悩んでいた事は話さず、自分で抱え込んでしまいました。
こうして初めての恋愛は終わりました。
先生との事は誰にも話さず、卒業してから本当に仲の良い同級生数人に話したくらいです。
結局先生との事はバレず、大きな問題にはなりませんでした。
この恋愛に対しての本音ですが、
まず先生の事は好きでした。
中学生の「好き」なんて知れてるでしょうけど。
ただ、もう一つの感情が私の中にはありました。
過干渉な毒親に育てられた私。
教育虐待と宗教の強要を受けていました。
そんな窮屈な家庭環境の中で、先生との恋愛は私の最大の反抗だったのです。
「友達と遊びに行く」そう言って家を出て、いけない事をしている。
親に復讐出来ている気がしました。
これは別れてから気づいた事です。
先生には感謝しています。
あの時、私の癒しになってくれてありがとう。
私が毒親の被害に遭ったのは、30年。
この時15歳。
ちょうど折り返し地点でした。